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多治見観光 [日常]

昨日は所用で多治見駅近くの銀行まで。
そのまま帰るのも、何だか悔しいので、軽く、多治見観光してきました。
といっても、おりべストリートという、多治見駅から歩いていける界隈を少し歩いただけなんですけど。

ここは、陶器や和雑貨を扱う店や、こぎれいな、食事処や喫茶店があります。
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交番は、こんなの。
写真はみんなピントが合ってないなあ~~)

ふだんはあまり購買欲がないのですが、物見遊山の気分になったのか、ちょこちょこと買い物も。
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用もないのに、あんまりにもウサギが可愛かったので2枚だけ、買いました。
お店の人がうるさくってうっとおしかったんですけど、半額セールだって言うし。

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これは松浦軒のカステラ。
「寛政10年当時のレシピをそのまま200年来守り続けた伝統の味」
ということで、期待してたんですけどね。
はっきり言って、人形焼きの味。
しかも、原材料のところに「トレハ」の文字が…。トレハってトレハロースでしょ?
まあ、500円なので、こんなものかと。
でも、やっぱり多治見の和菓子といえば栗きんとんでしょう。
栗きんとんといえば、芋餡の中に栗の甘露煮が入っているものを思い浮かべられるかもしれませんが、
東濃の栗きんとんは違います。全体が栗の餡!
オリベストリートあたりでは梅園のがおすすめ。
そのほかでは、すやのが駅構内の土産物屋で買えたはず。
ただし季節商品で、夏は買えません。各店9月になると一斉に販売をスタートするのです。

それから、小型のお手紙セットと縮緬シールも買いました。
うさぎの形が可愛いでしょ♪
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これは「うつわ邸」という織部(たぶん、食器の小売業をしている会社)のお店で買いました。
このお店ももとは民家なのでしょうか。靴を脱いで、部屋べやの商品を見て回ります。
買わなくても楽しめる、お勧めのお店です♪

お昼は「万年青」という蔵を改装したというお店で。
感じのいいお店で、食器も素敵でした。
が、メニューがね。秋野菜の揚げ浸しと天かすとわかめ入りの蕎麦と枝豆、ゆかりの乗ったご飯と漬物少し。プラスの冷やし白玉ぜんざいとコーヒー。
おいしいし、カロリーもたっぷりそうですが、物足りない…。
なんか、多治見のお店って量が少なかったりすることが多くって、あんまり満腹感がないんですよね。
わたしが大食なのか…。
で、おまけに、お店の人に、MONOパークで今日まで開催の現代陶芸フェスティバルのチケットまでいただいてしまいました。当日券だと800円するものを900円のランチでいただいていいものかと思いつつも、バス停へ。
ところが、1時間に1本のバスを2本も乗り損ねてしまい、行きそびれちゃいました。(汗)
なんでそんなことに、といえば、私だからとしか、言いようがない。(あまりにおばかで説明する気にもなれない・・・)
その後、喫茶店にも入りました。ラゲンという、アンティークいっぱいのお店。
テーブルの上にはコーヒーシュガーが塗りのお椀に入って載っていました。
先日話題にした砂糖ばさみとともに。
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そうそう、お昼を食べた店にもコーヒーシュガーがあったのですが、こちらはアンティークの小さな宝石箱のような器に入っていました。
写真の奥左のお椀にはおてふきが入っています。
お紅茶はこんな感じで出てきました。
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多治見は名古屋圏なのでコーヒー紅茶には無条件でおまけが付いています。
でも、こちらも味は、ね。
だいたい紅茶を頼んでフレッシュが出てくる時点で、これはだめだな、と思っちゃいます。
こんな器だったら、チャイを飲みたいな、と思いました。

とはいえ、落ち着く店で、ゆったりとした時間を過ごせました。
ただし、他のお客さんが大声で、ずっとウオッシュレットの話をしていたのはちょっと。
内容までは聞いてないのですが、何度も「ウオッシュレット」と「シャワートイレ」って単語がね。

多治見のことを紹介したついでに、今回はいかなかったのですが、私の一押しのスポットを紹介しときますね。
多治見からバスで行かなきゃならないのですが、市之倉の幸兵衛窯の古陶磁資料館。
古民家を改装してペルシアなどの焼き物を展示しているのですが、なかなか素敵な空間です。
そして、その隣に細長い部屋があって、そこからは登り窯が見えるのですが、ここでは自動販売機ですが、200円でエスプレッソが飲めます。
自動販売機とはいえ、コーヒーカップがちゃんとしたもので、好みのものが選べます。
多治見にいらしたら、ぜひ。
そして、ここまで来れれたら、さかづき美術館にも足を伸ばされるといいです。
展示点数はあまり多くありませんが、戦時中のさかづきなど、なかなか面白いものが見られます。
こちらの美術館のミュージアムショップは広くって、作家ものから食品まで扱っているので、あまり他のところを散策する時間が取れないならば、土産物はここで選ばれるのがいいかもしれません。

あと、定番の観光地といえば、日本3大修道院のひとつといわれる修道院(ここはワインが有名らしい)と禅寺ながらも優美な建物の永保寺。
瀬戸物の歴史的な流れを知りたいならば、岐阜県陶磁資料館の寄られるのがいいと思います。

ただし、多治見の観光は点在しているので車でないと回るのが案外大変かもしれません。
バスなども1時間に1本って感じのものが多いですし。
いずれにせよ、多治見駅の駅前の交番の2階に観光センターがありますから、ここでパンフレットをもらって、少し相談に乗ってもらうといいかも。

どうぞ、一度遊びに来てください♪

あれ、いつの間にか観光案内になっちゃった。

「エム・バタフライ」 [映画]

GyaO映画でデビッド・クローネンバーグの「エム・バタフライ」を見つけたので、見ました。
1993年の映画なので、もう15年も前の映画になるのね。
映画の時代背景はもっと前で、中国文化大革命のころ。

もともとはホラーの作家だったと思うんですよね。「ビデオドローム」をテレビで見て、しばらくホラー映画にのめりこんだ時期があります。
朝、ビデオショップの開店時間にやってきて、きまってホラーを借りていくおばさんって、今から思うと、結構不気味だったかも。

しかし、これは実話をもとにした映画。
1989年の「戦慄の絆」に近いテイストですね。
両作品とも、主演にジェレミー・アイアンズをつかっているし。

人間の狂気に関しては、この監督さんの右に出る人はいないのでは?という感じがします。
(最近の映画はあんまり見てない癖に言うのもなんですが)

ジェレミー・アイアンズがフランスの外交官役なんだけど、イギリス人にしか見えない、とか、オープニングのタイトルバックの東洋趣味があんまりだぜ、とか、こういうつっこみはいろいろできますが、なかなか考えさせられる映画でした。

10月1日正午までなので、ご覧になる方は、速攻で!

            GyaO

読者のレビューが下のほうにのっていますが、そちらは見ずに映画のほうをご覧になることをお勧めします。

最近の洗顔の流行についてあれこれ [化粧品]

少し前に、愛用のアレッホの石鹸がなくなったので、試供品にもらった洗顔せっけんをいくつか使っている。
いぜん、わたしは、面の皮が厚いから、浴用石鹸で顔を洗う、なんて書いたけど、ほんとはちょっと嘘。
浴用石鹸以外の石鹸ではトラブルを起こすことが多いので、浴用石鹸に落ち着いているっていうのがほんとのところだ。
どういうわけだか、固形の石鹸と粉状のものはまず大丈夫なんだけど、クリーム状になったものはひりひりすることが多くって。
で、試供品も固形の石鹸を使ったのだが、最近の石鹸は泡立ちがよくって、しかもその泡のもちがいい。
だけどね、ふつうの浴用石鹸の方がさっぱりして、しかもしっとり感が続くのね。

最近では、汚れは泡で落とす、ということが新常識として定着し、この、泡持ち、というのが最近の洗顔料のはやりだと思うんだけれど、これ、たぶん本末転倒になってる部分が多いと思う。
泡持ちを良くするために余計なものを添加しているんじゃないの?というのが率直な感想だ。

ほかにも、最近の洗顔料の流行にはいくつか疑問を持っている。
まずは、毛穴より小さな粒子で毛穴の中までしっかり洗うってやつ。
よく、表面にぼこぼことくぼみのある絵に小さな丸が入っていって抜け出る説明があるんだけど、常識的に考えて、くぼみの中に小さな丸が入り込んだまま残ると思うんですよね。

それに関連する事なんだけど、よく、洗い上がりが驚くほど白くなるという商品もある。
わたしも(やはり試供品で)そういうパックをつかったことがあるけれど、ほんとに、白くはなるのね。
おお、別人じゃん!というのが第一印象。
でも、ちょっと待てよ、なのだ。
そんな一瞬で顔の色が変わるって変じゃない?
で、それを一回使うと、数日その状態が続くのね。
どういう原理になっているのだろうか、考えてみた。
科学的に何らかの変化を起こしているんだったら、もっとダメージがあるんじゃないか、と思うが、ひどいダメージはない。でも、肌の状態はわずかに良くない方向に向かうような感じがある。(このあたりは私の個人的な感想です)
では、肌に何が起こっているのか?
だいたい、白くなることをうたい文句にしている商品は白い。

で、思ったのは、上記の毛穴の入り込む粒子の話。
この、毛穴に白い物質が詰まった状態でいたら、顔全体も白っぽくなると思いません?
ということで、わたしは白くなる石鹸は毛穴を白い物質で埋め込む製品じゃないかと疑っている。

ただ、最近の洗顔の常識のうち、ごしごし洗わない、ということと、すすぎは完ぺきに、というのはその通りだろうと思う。
大事なのは、こんなところで時間を節約しようと思わないということではないかなと思っているのだけれど。

あ、アレッホの石鹸はお勧めですよ。
安いし、顔でお試ししてだめだったらボディ用に転用してもいいし♪

プチトマト酵母のパン [食]

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ふと、何かを育てたくなって、1か月ほど前から、フルーツ野菜酵母を育てています。
育てるといっても、フルーツや野菜を(場合によっては水や糖分を足す)ただ、瓶に入れ、最初は冷蔵庫に数日、そのあとは室内に放置するだけ。
その他にやることと言ったら、日に数度瓶をちょっと振った後ふたを開けるぐらい。
私はその他にオプションとして、酵母よ育てと祈っていますが。
厳密にいえば育てるとは言えないかも。傍に生きているものの成り行きをただ見守っているような気もするなあ。

ただ、育てることが目的で、使うあてが何にもなかったので、しばらくはヨーグルトに入れてみたり、調味料代わりに使ったりとしていたのだけれど、野生酵母の王道と言えばやはりパン作りでしょう。
というわけで、ミニトマト酵母でパンを焼きました。
酵母と塩と小麦粉のみでも膨らむのだ。
といっても、野生酵母のパンは初めて。
発酵のタイミングと時間がよくわからなかったので、中央部、少しお団子状になっちまいました。
でも、まあ、おいしい範疇には仕上がりましたよ。
7、8ミリにスライスして軽くトーストして、バターをつけて。
以前、もとは市販のドライイーストを使ったものの、小麦粉を継ぎ足し継ぎ足しして保持していた中種で半年ほどパンを焼いていたことがありますが、その時に焼いていたパンと似た感じで、どっしりと重く、素朴な小麦粉の香りが楽しめるパンですね。
このタイプのパンは薄く切ったほうがおいしい気がします。

こんなふうな素朴なパンやチャパティの香りをかぐと、こころがざわざわ騒ぎだします。わたしはどうも米食民族ではない気がするんですよね。大陸の小麦粉食文化の民の末裔なのかなあ。

詩と短歌 [短歌]

大辻隆弘さんの『時の基底』のⅠ部を読んだ。
1999年から2003年の「未来」に連載された時評。
自分が属していない結社の結社誌はあまり目にすることがないだけに、こういう形で読めるのはうれしい。
この1999年から2003年というのは、ちょうどわたしが短歌を知る少し前から、始めたばかりのころだ。
そういうことがあったな、と思ったり、その時分にはよく分かっていなかったことが、ああそういうことだったのか、と思えたり、とおもしろかった。
短い文で問題を鋭くとらえられていて、読みやすいのに、深く考えさせられる。
また、ほかのところで話題になっていたことがこれを読んで、少し理解出来たように思えた部分もあった。

「やまとことばの基底」という章で取り上げられているのは「短歌人」の時評の吉浦玲子氏の記事に対して書かれた「Es」という同人誌に掲載された加藤英彦氏の記事に対するもので、このこと自体は初めて目にするものだったのだけれど、ネットで以前目にしたものの、よくわからなかったことの原因が少しわかったような気がした。

記録しているわけではないのであやふやな記憶なのだが、「短歌は詩である/ない」といったやり取りがネットでもあったと思うのだが、わたしには短歌が詩ではない、というのがどうしてだか、よく分からなかったのだ。議論自体、どこかかみ合ってない気がしたものだった。
私自身は初めて短歌に触れたときに、そうか、詩とはこういうものだったのだな、と感動とともに思ったということもあり、とても不思議だった。

大辻さんのこの本に戻り、そういうことだったのか、と思ったのが

>短歌は決して「一行の詩」などではない。「詩」などといった、さかしらな概念をはるかに深く貫く「うた」であり、やまとことばの基底なのだ。

の「さかしらな概念」という部分。
この文は加藤氏の論への反論と書かれているのだが、加藤氏の原文自体は入手できないので、大辻氏の引用のみに頼って理解するしかないのだが、

>短歌の読みに必要なのは、①「掛詞」などの和歌的修辞の理解ではない、②一首の背後に「われ」の存在を透視する「一人称神話」に基づく読みではない、③「てには」の機能に注目した読みではない、④「韻律」を重視した読みではない、

>「詩人や作家にも通用する水準にまでわれわれの言葉を鍛え上げる」

といった加藤氏の論はまったくもって同調できないものであり、大辻氏の言っていることはもっともだと思う。

>それ(=短歌)は西洋の詩学から直輸入された「喩性」や「イマジネーション」といった名詞中心の言語間では論じることができない。

これも確かにその通りだと思う。
だが、ここで言われている詩とは西洋の詩のそれも近代詩以降の、ほんの一握りのものではないだろうか。それをもって

>「詩」などといった、さかしらな概念

と断じ、詩全体へと敷衍するのはいかがなものか。

また、日本の場合、長らく詩=漢詩とされ、和歌に対比されるものとされてきたため、混乱が起きているという部分もあるのではないか。
詩をやまとうたの対立概念としてとらえている人たちと、詩を古今東西の韻文すべて、ととらえている人が混在しておりながら、互いがその違った概念のままに論争がなされており、噛み合っていないことがあるように感じられる。

私自身としては、詩は各々の言語の中でその歴史を培ってきたものだと思うし、短歌は日本の詩のきわめてすぐれた一形態だと思っている。

そして、もう一つ気になったこと。
ここは大辻氏の文章に対して、というよりも加藤氏の詩に対する考えに対してちょっと疑問に思ったということなのだが。
西洋詩について、私は暗いのでよくは知らないが、加藤氏の言うような「韻律」を無視する詩など全体からすれば少数派なんじゃないのだろうか?
西洋においても詩の成立はまず、吟ずることに始まったのではなかったのか。
それに、やはり「短歌は一行の詩である。」と言っている人の中に石井辰彦氏がいるが、それに続けて「詩は朗読されるべきものであり、短歌もまた朗読されるべきである。」とも書かれていて、
 http://yowatari.exblog.jp/m2007-04-01/
たぶん、加藤氏とは180度違う詩観なんだろうと思う。



ポジャギは韓国のパッチワーク? [日常]

「買い物バッグになったテーブルクロス」から布つながりのお話。

昨日見終わった韓国ドラマの中で、ヒロインが男性主人公のことを「ポジャギ」のようだと言っていた場面があった。
調べてみると「ポジャギ(보자기)」は風呂敷のことなんですね。
場面に即して解釈しても、風呂敷のような包み込む温かさを持った人って感じで使われていた。

あれ、と思う。
日本で「ポジャギ」といえば韓国のパッチワークのことだとばかり。
どちらかといえば装飾品のイメージじゃないだろうか。

綴りが違うポジャギなのか、同音異語なのか。
調べてみると、やはりポジャギは韓国の風呂敷なのだが、日本の風呂敷が一枚の布で作られているのに対し、韓国では複数の布をパッチワークのように組み合わせて作る風呂敷の伝統があるらしい。
そして、どうやら、その工芸的な側面が注目されて、ポジャギ=韓国のパッチワークと限定的に受け止められているような感じだ。

参考として、「보자기」でイメージ検索してみた。
http://images.google.co.jp/images?gbv=2&ndsp=18&hl=ja&newwindow=1&q=%EB%B3%B4%EC%9E%90%EA%B8%B0&start=0&sa=N
見ていただければわかるかと思いますが、どちらかといえば風呂敷のイメージの画像が多いのではないかな?
中には日本の風呂敷と同じく、包み方が図解されているページもある。
日本でもよく取り上げられる、瓶を2本包む方法とか、ね。

外国語が日本語に取り入れられる時に起こる変形を、ちょっと垣間見た気がした。

蔵書票 [日常]

ちょっと前に、ネットの友人のFさんのブログですてきな蔵書票用の印をお見かけしました。
で、素敵! とお声をかけさせてもらったところ、なんと、わたし用の蔵書票を作ってくださいました。
そして、それが、きょう到着。
あんまり素敵なので、みなさまにもせめて写真でこの喜びをお分けしたいと思い、アップしました。
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ちょうど、注文していた本が到着したのでさっそく貼ってみました。
本は大辻隆弘さんの『時の基底』。

蔵書票を貼るのは題名のページか奥付のページが一般的なのかしら、と思いつつも、ちょうど色が合うので、題名の隣のページに貼ってみました。
まだ、仮止め用の糊でとめているので、変!って思われたら教えてくださいね。

いただいたのは、蔵書票用のはんこ2種と蔵書票の完成品数枚。
色違いの紙で、いろいろな色の組み合わせを楽しめそうです。
そして、送られたきた封筒の中がこんなの。

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細かいところまで気を配ったラッピングで、きれいでしょう。
もう、心のトーンが1オクターブぐらい、上がっちゃいます。


で、本の方は蔵書票で一日うきうきと過ごしていたので、まだ、全く読んでいません。
明日はゆっくり、本を読みたいと思います。

買い物バッグになったテーブルクロス [日常]

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わたしは布好きである。
学生時代、カバンがわりに風呂敷を持参したこともある。
(黒のゴミ袋を使ってみたこともあるのだけれど、これは、持っているうちにすぐにしわくちゃになってきたなくなってしまったので、一日だけの試みであった)
この夏は、それがこうじて、ちょっとした外出着に、とジャワ更紗の布を買った。
写真の左下の隅に写っているのがその布)
Tシャツの上にぐるぐると巻きつけて肩の上で結んで着用していた。
まあ、確かにどこの人?って感じになってやたらと振り返って眺められたのだけど。
上の妹にはそんな格好の人は隣を歩かんといて、と言われていたのだが、
その妹はというと、普通のサンドレスに白い和紙の和傘の日傘をさしていて、そちらも充分人目を引く格好だったと思う。
とはいうものの、家族内での妹の権力は絶大なので、誰も妹の格好についてとやかく言う人はいない。

ところで、先日から、買い物用のバッグが痛んできているのが気になっていた。
どっちみちなら、軽いものに替えたいなあ、と思いつつ過ごしていたのだが、
ふと、テーブルクロスに目が行った。。
ちょっと前に、図書館で風呂敷の結び方をちらっと見ていたのだけれど、かなりの大判でないと買い物用のバッグにするのは無理みたい、と諦めたことがあった。
正方形じゃないけど、これでできるんじゃないか、と思い付く。
ショルダーにするなら、かえって、長方形の方がいいかもしれない、と、うろ覚えの風呂敷バッグのやり方を試みてみた。
5、6年テーブルクロスとして使っているので色あせているけれど、まあ、着ている普段着がそもそも色褪せているので、ちょうどいいか。

細部は覚えてないので適当ですが、なんとかバッグらしい形になっているでしょう?
実際に使ってみましたが、たくさん入ってしかも重くない! いい感じです。
自画自賛でブログに載せてみました…。

*結び方を こちらの記事 にアップしました!


・糸を切ればタオルに戻る白うさぎ父は子知らず子は父しらず   希理子(2007題詠blog作品)

これは、タオルを切らず、そのまま糸でとめるだけのぬいぐるみ

子供が幼かった時に作ったことがある。
糸を切られたそのぬいぐるみは子も父も知らないまま、いまではぞうきんとなっている。

タオルでつくるぬいぐるみ43パターン

たぶんこの著者の本を見て作ったんだと思う。

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