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鑑賞093「祝」 [百題百日]

本日取り上げるのは「祝」という題です。

歌にしづらいと思うのはこの言葉があまりにも、めでたすぎるせいかしらん?

「祝日」はそんなにめでたい感じはないのですが、歌を読んでみると「休日」の方がむしろ適切な歌が多くありました。また、「祝」と「呪」の似ていることろに注目した歌も複数ありましたが、これはもう、かなりたくさん詠まれている素材ですね。これだけでは発見の歌ですらありません。

 

それでは、個々の歌の鑑賞を。

まずは、従来の短歌的な抒情の歌から。

 

(黄菜子) (月待ち人の窓辺)

吾がための祝福として降りかかる日照雨(そばえ)なるかも目を閉じて受く

短歌って、これぐらいのあまり大きくない心の陰影を書くのに一番向いている詩型だと思うのだが、「祝」をこのレベル(といっていいのかな)に納めるのは案外難しかったのでは、という気がする。「日照雨」がいいですね。

 

(寒竹茄子夫) (鮎と銀杏)

祝杯の「祝」淡緑を帯びる夏 旅の途中の巴里にて逅はむ

よくは理解できてないままに言いますと、前衛短歌の影響を感じます。

祝杯の「祝」という具体ではないものを「淡緑を帯びる」と具体化される言葉の魔法のようなところが面白いと思った。

 

続いて、祝い事の場面での歌から。

この系統で詠まれた歌にはあまりにも多く見かけるステロタイプな歌が最も多く、続いて、細部を取り上げて個性的といえば個性的だが、それがどうした、といった感想しか持てない歌がかなりありました。

 

(桑原憂太郎) (桑原憂太郎の短歌Blog)

町長の祝辞の間にもうつむきて女子生徒がメイルを打ちぬ

昔は、普段の授業では全くしたい放題の子でも、式の間ぐらいは神妙な顔を一応は装っていたものだが……。

 

(逢森凪) (みそじのみそひともじ())

言霊がきっとあるからわたくしの祝うことばでしあわせになれ

この歌で祝われている人って、はた目からはどうも不幸になりそうと思われているように読めるところがこの歌の面白さなのだろう。

 

(野樹かずみ) (告げ忘れたこと)

祝回復 しろくあかるい病室を出てゆく(売買された腎臓と)

社会の一側面。

 

(あみー) (正直なたましい)

神様に祝福されたおじさんが荷馬車に乗って売られてゆくよ

これは、はっきりとは分からないのだが、『アンクルトムの小屋』か何かなのだろうか。

「神様に祝福されて」「売られてゆく」という場面の切り取り方にインパクトがある。

 

(椎名時慈) (タンカデカンタ)

何事を祝う日なのか知らないがめでたく俺は朝寝ができる

 祝日って、最近では多くが月曜に移動して、ますます単なる休みの言い訳となってますから、こんなもんでしょう。

 

(つきしろ) (あめふりぼし)

 葬式も祝開店も花環なら同じ重さの花で彩る

重さで言うならばその通りなんだが、人はあまり、そんな風には物事を見ない。

このように、少し視点を移した所に発見の歌は生まれる。

 


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